【備忘録 思索の扉】第十六回 中世ドイツの笑いの性格(9)~ペストと音楽~

昨年5月以降、新型コロナウィルス禍で遠隔授業に追われてしまい、この連載をお休みしておりました。これまでは16世紀ドイツの劇詩人ハンス・ザックスの作品を見て来ましたが、時節柄、今回はザックスの時代の疫病体験について書いてみましょう。

中世の疫病と言えばペストです。厳密に言えば、腺ペストに限らず他の伝染病も含めて「Pestilentz」と呼んでいたようですが、当時の人々にとって、疫病が自分たちの町に到来することほど恐ろしいことはありませんでした。その傷跡は今のドイツにも残っています。ウルツェンの礼拝堂修正済み

例えば、日本人観光客にも人気が高い北の町リューベック。この町の駅のすぐ裏手に聖ローレンツ教会という教会がありますが、この場所は1597年のペスト大流行の際、7千以上の死体を埋葬した墓地跡です。今でも教会の敷地内には、死者たちのことを憶えて建てられた当時の石造りの十字架が残されています。右に載せた写真は、ウルツェンの町にあるゲルトルード礼拝堂のものですが、この教会の墓地にも1597年の流行の際には死者が続々と運び込まれました。こんな小さなチャペルにも、多くの人の涙や痛みがしみ込んでいるのです。

今でこそペストはノミを介して広がることが判明していますが、無論、そんなことは昔の人々は知りません。一般に「腐敗した空気から病が生じる」「天体の動きが影響を及ぼしている」などと考えられていました。暗中模索のまま、当時の医者たちはさまざまな治療法、予防法を試していたのです。

その1人、ヨハン・ザルツマン(ラテン名サリウス、?-1530年)はヘルマンシュタットの町医としてペストと戦い、後に神聖ローマ皇帝フェルディナンド1世の侍医にまでなった人物です。彼は、焚火による空気洗浄などの平均的な疫病対策に加えて患者の厳格な隔離などを提唱し、被害を抑えることに成功したと言われています。なかなかの名医なのですが、この先生、いささか「?」な感染予防法も指示しています。

曰く。ペストを避けるためには、「ハープ、リュート、フルートその他の楽器を演奏し、歌を歌い、楽しい物語を読もう」「部屋をきれいにして飾るべし」「美しい服やアクセサリー、宝石を身につけて気持ちをUP!」 心が暗くなると体内のバランスが崩れて病気になりやすくなるから、音楽やおしゃれで自分自身を応援することが効果的だというのです。

ただのリラクゼーションでは??とも思えますが、この考え、実は同時代のイタリア、フランスの医者たちも唱えていたものです。ヴェネチアの解剖学者ニッコロ・マッサ(1485年-1569年)も、ザルツマンと同じく「音楽・楽しい話・おしゃれ」を勧めていました。特に音楽は、聴くのも自ら歌うのも良いとされています。

疫病予防の足しになるかはともかく、音楽が脳を活性化し、ストレスを軽減して血圧を下げるとはよく言われています。音楽を聴くことで心が落ち着いたり、能率が良くなったりということは、私たちも日常的に体験していますね。心身を疲れたままにしておけば免疫力は下がるのですから、音楽と健康はあながち無関係とも言えないです。

コロナ禍で外出が減り、ネット依存、スマホ依存になる人が増えています。青白い小さな画面に縛られて、うつに陥ることも多いです。これではコロナを逃れても内面がやられます。ここはハプスブルク家の侍医殿の言葉に従い、思いきり音楽を聴いて心と頭をデトックスするのも良いアイディアでは。(栗原健 キリスト教学)

 

*   参考: Remi Chiu, Plague and Music in the Renaissance (Cambridge University Press, 2017)