【備忘録 思索の扉】七回 中世ドイツの笑いの性格(2) ~『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』から~

buckeburg castle courtyard前回は、中世ドイツの笑話文学『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』のことを紹介しました。この物語では、主人公の流れ者オイレンシュピーゲルが、「誰だって、阿呆に騙されないほど賢いものはいないのさ」という哲学を引っさげて、行く先々で人々にぺてんやいたずらを仕掛けて行きます。その目的は、「もっともらしい顔をした奴らも、しょせんは同じ人間、阿呆仲間よ」ということを示すためでした。しかし、そのオイレンシュピーゲル自身が自分の阿呆ぶりを思い知らされる体験をするという話も、この書物には登場します。

第27話で彼は、マールブルクにあるヘッセン方伯の居城に乗り込んで行きます。この殿様は錬金術の大ファン。ということは、いいカモだということです。ここでオイレンシュピーゲルは、自分は腕利きの画家であると名乗り、城の広間に栄えある方伯の家系図を描くことを約束します。しかも彼は、自分の絵は「正しい結婚による生まれでない者」、つまり婚外子には見えない特別なものだと豪語するのです。

あとの展開は、アンデルセンの「皇帝の新しい着物(はだかの王様)」と似ています。婚外子とされることは、中世社会においては「名誉の無い者」として差別・蔑視の対象となることでした。このため、殿様であっても「絵が見えない」とは言えません。オイレンシュピーゲルの思惑通り…と思いきや、ここで番狂わせが起きるのです。彼が方伯の奥方と侍女たちに(架空の)絵を指し示すと、彼女たちはみな戸惑うのですが、一人だけ違う反応を示した者がいました。その場に居合わせた女性道化師が、あっさりと「師匠、あたしには絵が見えないよ。てことは、あたしは婚外子ってことかね」と尋ねたのです。

これが「女性道化師」であることが興味深い点ですね。当時のヨーロッパの宮廷には道化師が付き物でしたが、女性の道化師は珍しいです。さらに、道化師として雇われた者の中にはしばしば、知的障害を抱えた者も見られたようです。この女性道化師は、差別される危険を恐れずに「見えないよ」と言っていますが、社会的常識にとらわれないこの態度を見ると、彼女も障害を持っていたのかも知れません。しかし、そうしたハンディゆえに彼女は、他の誰もが言えなかった真実を話すことができたのでした。

彼女の一言で、オイレンシュピーゲルのトリックは崩れ始めます。その場は笑ってごまかしたものの、危険を察知した彼は、受け取れるだけの金を城の会計からせしめると、直ちに高飛びします。「どんな奴でもしょせんは阿呆」という自己の信念の確かさを、彼自身が手ひどく味わうことになったのでした。しかも、その展開をもたらしたのが、ハンディを抱えていたのかも知れない一人の女性道化師であったという点が、味わい深いところです。

この話を聞いて思い出されるのが、知的障害を持ったちぎり絵の画家・山下清の話です。太平洋戦争中、周囲の人々が「日本は絶対に勝つ!」と言っているのを聞いた彼は、「絶対に勝つ戦争なら、する必要がないんじゃないか」と言ったそうです(香山リカ・佐高信『チルドレンな日本』、七つ森書館、122頁)。人目を恐れずに「違うだろ」と言えるこのパワーには、オイレンシュピーゲルのような手練れの者も勝てなかったのでした。

しかし、ユーモアの基本は自分の愚かさを知って笑えること。主人公自身もこうした手痛い失敗をしているからこそ、『愉快ないたずら』の笑いは奥が深いのですね。次回でも、引き続き中世ヨーロッパのギャグの世界を取り上げて行きます。(栗原健 キリスト教学)