児童教育学科教授 磯部裕子

児童教育学科の磯部裕子と申します。幼児教育学(保育学)を専門としています。幼児教育学という学問は、様々な分野からのアプローチが可能ですが、私は主として就学前(小学校に就学するまで)の子どもたちの教育の内容(カリキュラム)やその環境について研究しています。
本日は、その研究の一端をご紹介します。

さて、まずはこの写真、みてください。
いろりで、煮込まれているこんにゃくです。おいしそうですね。さて、ここはどこだと思いますか?どこか田舎の温泉宿でも、私の行きつけの居酒屋でもありません。なんと、仙台市内の「幼稚園の保育室(教室)」です!
みなさんがかつて通った幼稚園や保育所の保育室は、どんな感じになっていましたか?
四角い部屋の隅にピアノがあって、ブロックや積木、おままごとのセットなどが用意されていた…そんな感じだったのではないかと思います。

机やいすも用意されていて、必要に応じてそれらを出してきて、折紙をしたり粘土をしたり・・・それが幼稚園や保育所のよくある風景ですね。
それらの風景は、幼稚園や保育所にありがちな環境なのですが、それは法律で定められているわけでも、全国で統一することが義務づけられているわけでもありません。だとしたら、それらを見直していくことも可能です。私は、幼児期の子どもの教育環境として、よりよい環境とは何なのかを研究しながら、これまでありがちだった環境の見直しをしています。

 

たとえば、このいろり。保育室の真ん中においてあるのですが、どう思いますか?保育室は子どもたちの遊び場ですから、その遊び場に、火や熱い鍋があるなんて「危ない!!」と思いますか?

危ないなら、取り除いたり子どもの身近に置かない、という選択肢もありますね。でも、「危ないもの(危険性のあるもの)」をすべて子どもの周りから取り除いたり子どもから遠ざけていという方法を選択すると、火はもちろんのこと、すべり台だって、ブランコだって危ないことは起こるものですから、それらのすべてを無くしていかなければならなくなります。危なくないように、先生があれこれルールを決めて、それに従って子どもたちが使うという方法もありますが、それが本当に教育なのでしょうか。そうした問題を検証し、検討し、子どもたちが「育つ」とは何か、「学ぶ」とは何かを明らかにしていくことが私の研究です。

さて、さきほどのいろりのこんにゃく。なぜ、保育室にあるのでしょう。実は、このこんにゃくは、ただのこんにゃくではないのです。子どもたちが自分たちの畑でこんにゃくいもを栽培し、それからこんにゃくを作り、そして今日に至っているのです。畑でイモを植え、育て、栽培し、調理し、食べる・・・。その過程のすべてに子どもがかかわって、今に至っています。幼児教育では、このプロセスそのものが教育内容だと考えています。このプロセスの中で、子どもたちが心を動かし、関わり、試行錯誤し、今を作り出していく。子ども自身がその作り手となり、主人公となることが大切なのです。

 

いろりが保育室にある理由、それは自分たちが関わった(イモを植え、育て、栽培し、調理し・・・という)過程の丸ごとを子どもたち自身に確認できる状況性を作っておくためなのです。
こうして保育室に置いておくと、だんだんできあがっていく・・・というプロセスを子ども自身が感じることができます。いい匂いがし、見た目にもおいしそうになっていく(変化していく)。そのプロセスを感じること、確認すること、うれしく待つこと、そしてできあがりを喜ぶこと、そこに友達や信頼できる教師という名の大人がいること、そのまるごとの体験が幼児教育の教育内容なのです。そして、なによりも、その状況性と環境が子どもにとって、心地いいということが大切なのです。

 

幼児教育は、教師という名の大人が子どもの気持ちをよそに、計画したものを子どもに「はい、どうぞ」といって提供し、子どもはそれをそのまま受け取るような営為ではなく、子ども自身が常にその状況性の作り手となることを目指しています。
私は、そんな実践が作り出されるよう、学生のみなさんや現場の先生方と共に研究しています。

 さて、その後のこんにゃくはというと・・・、

はい出来上がり。

こ〜んな感じになりました。わ〜おいしそう。

幼児教育って、まさにおいしい学問なんです!!
保育室がこんなおいしいものでいっぱいになると、何だがわくわくしますね。
幼児教育という実践は、こんなわくわくする世界を子どもとともに作りだす営みです。それを学問として、研究するなんて、やっぱりおいしい世界です!!

 

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