食品栄養学科教授 戸野塚厚子

1) はじめに
 食品栄養学科の戸野塚 厚子です。教育学が専門で、カリキュラムの比較研究をしています。
宮城学院女子大学では、主として養護教諭を目指す学生と大学院生、小学校教諭を目指す学生の授業を担当しています。
 私がどのようなことをしているのか、その一端を知っていただくために、まずは、スウェーデンの基礎学校(義務教育学校)の写真を見ていただくことにしましょう。

・休み時間
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 これは、ストックホルム市内の基礎学校の休み時間の様子です。天候に関わらず、子どもたちの多くが休み時間を外で過ごします。サッカーをしている子こどもの向こうに見えるのが校舎です。1年生から9年生、日本で言うところの小学生から中学生までの児童・生徒が、ここで学んでいます。

・授業風景

 休み時間が終わって、生徒たちが教室に集まってきました。これは、8年生(中学2年)の社会科の授業風景です。ここでは、クラスの全員が許可してくれた写真を掲載しています。このクラスは21人。机に座っているのがゴットフリッズソン(Gottfridsson,Patrick)先生です。先生の授業は、多くの場合、問いを投げかけ、それについて生徒たちが討論をするというスタイルで行われます。教師は、討論を見守りながら、必要に応じて触発したり、さらなる問いを投げかけたりするのです。例えばこんなことがありました。
 それは、生徒が「アラブの人は悪いことをする」と発言した時のことです。教師は、輪の中に入り、次のように疑問を投げかけました。

 「みなさんが“外国の人”と言っている人たちの中に、実はスウェーデンで生まれた人がたくさんいます。その人たちもスウェーデン人です。アラブだけに悪い人がいるのではありません。スウェーデンにも悪いことをする人がいます。特定のグループが悪いということではないと思うけど?」

 教師の投げかけを受けて生徒たちは再び討論を開始します。この授業には、テストも評定もありません。自由に語り合い考えを深めるのが目的です。授業後に、ゴットフリッズソン先生は、「評定とは関係ないから、自由に発言することを可能にしている」、「私たちとは異なる“彼ら”という捉え方ではなく、“多様なわれわれ”いう考えをもってもらいたい」と説明してくれました。

・心地よいスペース
これは、日本の学校にもあるスペースです。どこだと思いますか?

 実は、職員室なのです。スウェーデンの先生たちは、職員室で、お昼を食べたり、お茶をしたり、情報交換をしたりしています。新聞を読んでいる先生もいます。コーヒーを飲みながら、教材を確認している先生もいます。キッチンで簡単な料理をしている先生もいます。お弁当を味見しあったりもしています。
 そう、ここは、先生たちがリラックスする「場」なのです。情報交換をするというのは、日本と共通した「職員室機能」の一つですが、私たちが知っている職員室とはどこか違った空気が流れているとは思いませんか? そういえば、ある小学校を訪問した時、職員室で打ち合わせをしていたら、コーヒーをサービスしてくれた先生がいました。校長先生でした。

 一つの学校、教室で起こっていることは、学校文化や制度、そしてそれらを左右する政治、社会理念に規定されています。テストをしない、評点のない「討論の授業」を可能にしているのは、スウェーデンのラーロプラン(国レベルのカリキュラム)、受験制度、そして評価観が関係しています。
 先に紹介したクラスの生徒数は、21人でした。「少ないなあ」と思うかもしれません。スウェーデンの義務教育学校は、一クラス20人~25人で構成されています。そして、小学校では、多くの場合、クラス担任とスペシャルティーチャー(配慮が必要な子のサポーター)がティームティーチングで授業を受け持っています。これには、教育にかける人件費、つまりは教育予算の問題、そして「教育の機会均等」だけではなく「結果の平等」を目指すという教育理念が反映されています。このような話題になってくると、教育学を学んでいるみなさん、学ぼうと思っているみなさんは、スウェーデンの教育学者(思想家)のエレン・ケイ(Ellen Key, 1849-1926)の「児童の世紀」、「こども中心主義」を思い出すかもしれません。

2) 他国を見る、他国から見る
 「同じだけれど違っている」「違っているけれど同じである」
 他国の学校を「窓」にして日本の学校を見てみると、独自性や課題、共通点が浮かび上がってきます。もちろん、スウェーデンの教育にも課題がありますし、他国の教育方法をそのまま日本に導入しても上手くいくとは限りません。でも、他者から学び、外から日本の学校を見ることで、今までと違った学校の様相が浮かび上がってくる、そこに未来の教育を「創造」するヒントが隠されています。見ようとしないと何も見えません。これまで、当たり前と思っていたことが、実は当たり前ではないということにも気づくでしょう?
 学校をもっと楽しい「学びの場」にするために何をどうしたらよいのかを具体的に考えてみるのです。「すぐには変えられないことばかり」と悲観することはありません。出来ることから始めてみるのです。「無から有は生まれない」のですから。
 教育実践を創造することで道が開けてくるし、希望もわいてきます。一人では出来ないことでも、同僚と力をあわせることで実現することもあります。実践を共有することを通して、遠慮なく意見を言い合える、信頼できる仲間も増えていくに違いありません。子どもの成長に寄り添う仕事は、難しい、悩ましい、でも楽しい、そして嬉しい。苦悩や困難の中にも希望や喜びが内包されている世界と言ってもよいでしょう。成長するのは子どもだけではありません。私たちも子どもから学び、成長することができると考えています。そんな教育の世界をみなさんといっしょに体験し、これからの教育、子どもとの未来について語りあえたら素敵ですね?