田中史郎と申します。人間文化学科で、経済学関連の科目の担当をしています。
経済学という学問は、きわめて広い領域を対象としています。そうした中で、ここでは、「行列に割り込む権利の売買」とでも名付けられる問題に関して考えてみたいと思います。
「行列に割り込む権利の売買」と聞いても、「ピン」と来ない、という人も多いと思います。実は、これはマイケル・サンデルというアメリカの哲学者が提起した問題でもあります。サンデルは、何回も来日しており、この2月には仙台でも「白熱教室」を展開しています。受講者に問題を投げかけ、そこから思考を深めていく独特の授業展開は、よく知られています。サンデルの提起を踏まえ、考えてみましょう。
さて、まず、こんな例をあげてみましょう。例えば、バスや地下鉄を待っているとき、誰かがその行列に割り込もうとしたら、誰しもいい気分はしません。場合によっては、怒り出す人もいるかも知れません。こうしたことは、バスや地下鉄の行列ばかりでなく、色々なところで起こります。このように、誰かが行列に割り込もうとしたら、その人は非難されますが、ここで、お金を払ってそのようなことをしたらどうでしょう。
具体例をイメージすると、こうなります。例えば、震災の時に、多くの人が給水所に水を求めて並びました。長い行列が出来ているとき、誰かが自分の前の人に、「お金を払うから、場所を譲ってほしい」、と言ったとします。そして、この申し出が成立したとします。お金を受け取って場所を譲った人は、最後尾にもう一度並ぶかも知れません。お金を払った人は、相手が納得して場所を譲ったのであり、また、後ろの人にも迷惑をかけていない、と主張するかも知れません。確かに、後ろの人の順番には全く影響しません。
これを経済学では「行列に割り込む権利の売買」と理解しますが、やはり、釈然としないものが残ります。誰しも、お金で買えるものと、買えないものがある。あるいは、買えるかも知れないが、買ってはいけないものがある…、そんな風に思うのではないでしょうか。
ところが、こうしたことがよく行われている例もあるようです。例えば、マスコミなどで話題になる裁判があったとしましょう。そのとき、新聞社の記者は、傍聴券を求めて徹夜で並ぶのではなく、誰かアルバイトを雇っておきます。そして、裁判の開かれる直前に、そのアルバイトと入れ替わるというわけです。この例でも、「行列に割り込む権利の売買」が行われたことになると思いますが、どうでしょうか? これは個人の利益のためではなく、マスコミという社会的な使命のためとも考えられますが…。
さらに次のようなことも起こります。先日の新聞に以下のような記事が掲載されていました。「海外の富裕層の来日を促そうと、政府が誘致策を相次いで打ち出す。一定の資産や年収がある外国人向けに、…大都市圏の空港で出入国手続きを簡単にできる優先レーンを新たに設ける。(中略)富裕層専用の出入国審査の窓口を作る…。」(『日本経済新聞』2013年6月16日)というものです。つまり、富裕層を対象に、一定の価格を付けて、いわば「行列に割り込む権利」を売り出そうというわけです。このように、富裕層に特典を付与することによって、海外から富裕層を呼び込み、延いては経済の活性化に繋げる…と、政府は、目論んでいるようです。
これを先の給水所の行列の例に当てはめますと、普通の人の行列の他に、有料レーンを作り、その権利を買った人に優先的に水を得る特典を与えるというものです。このような事態をどのように考えるべきでしょうか?
いくつかの例を見てきました。そうすると、「行列に割り込む権利の売買」として、どこまでが認められ、どこからが非難されるか、難しい問題が浮上します。しかし、世の中には、お金で買えるものと、買えないものがある。あるいは、売買できるかも知れないが、売買してはいけないものがある。それは、確かなことでしょう。
すなわち、商品や貨幣、あるいは市場の意義と限界を吟味しなければならないということになりますが、こうしたことも議論の対象とするのが経済学です。もちろん、経済学では他にもじつに様々な問題を扱います。興味をお持ちの方は、私のホームページをご覧ください。