英文学科准教授 木口寛久

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みなさん、今日は。英文学科で主に英語学を教えている木口寛久です。

 英語学とは、読んで字のごとく英語の仕組みを研究する学問です。

と言っても今一つイメージが湧かない方もいるかと思いますので、もう少しお話ししましょう。

 例えば、英語のYou love me. を疑問文や否定文にするとDo you love me?とかYou do not love me.のように“do”がどこからともなくやって来て文中に登場します。一般の英語の授業だと、「そういう決まりだから覚えるように!」で終わりなのですが、英語学では、なぜ、これらの場合にdoがこの位置に必要なのか、その理由を探り、考え、説明することが求められます。
 英文学科で英語学を勉強して、こういった英語の仕組みを理解していくことは、将来、中学校などで英語を教える立場になった時に役立つだけでなく、物事を筋道立てて考え、説明する能力を養うことにもつながっていきます。
 で、先ほど紹介したdoにまつわる現象を一体どうやって説明するのかというと・・・、それは大学に入って私の「生成文法」という授業に出ると分かります(笑)。
 さて、今回はdoのお話ではなく、私、木口がDOして(笑)大学の先生になってしまったのか? そのいきさつを色々お話ししたいと思います。
 今から十数年前、大学を卒業した私は、某企業に就職することになりました。当時の私はサラリーマン人生を歩むつもりで、学問の道に進んでいく考えは、全くありませんでした。しかし、いざ勤めに出てみると、会社での生活がもう一つなじめず、社会に出てから自分の人生や進路について真剣に悩むようになってしまいました。そんな私を心配してくれた大学の同級生、K君が幸か不幸か留年しており、大学時代の恩師に相談に行くように勧めてくれました。K君のツテで、相談に行った私に恩師が紹介してくれた進路の一つが、アメリカの大学院に留学し、大学教員になるというものでした。何故だかわからないのですが、そのお話を聞いた時、何というか目の前の霧が晴れて明るい光が見えたような気がしました。
 その日から、会社勤めをしながら、大学院に留学するための受験勉強を始めました。一年半後、努力の甲斐もあり二つの大学から合格通知が私のもとに届きました。一つはインディアナ大学、もう一つがメリーランド大学でした。しかし、学問の世界に出戻りして来た私には、どっちの学校に進めば良いのかよく分かりませんでした。まあ、インディアナ大学のほうが有名だから、こっちかなあくらいには思っていたのですが。
 そこで報告も兼ねて、再度恩師のもとに相談に行くことにしました。恩師は二校の大学院要覧の教員一覧を15秒くらい見比べて、メリーランド大学を推してくださいました。どちらの学校に行ったらいいか皆目見当がつかなかった私ですから、その15秒で私の留学先とその後が決まってしまったことになります。

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メリーランド大学のキャンパス

メリーランド大学の大学院に入学して一年後、私も上級生になり初めて後輩を迎えることになりましたが、一年前に比べて入学してくる学生の数が少ないことに気がつきました。聞いたところによると、その年から奨学金が出せる学生しか合格させない方針にしたとのことでした。(アメリカの大学院は、特に博士号修得プログラムだと学費免除はもちろんのこと様々な形で財政援助がなされるのが普通のことなのです。)当然、私は一年前、夜中にぺらぺらのFAXで合格通知を受け取っただけなので奨学金など、びた一文もらえませんでした。なので、もう一年出願が遅れたら、まあ不合格だったことでしょう。

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そんなこんなで優秀な学生と優秀な教授陣に囲まれて勉強しているうちに、あれよあれよという間にメリーランド大学の大学院の評判が高くなっていくことに気がつきました。私の在学3年目には多額の研究助成金が当たったらしく、オンボロだった校舎がきれいにリニューアルされました。それからも世界的に有名な学者を何人も引き抜いてきたりして、私が卒業するころには、ハーバード大学やMITを蹴ってメリーランド大学にやって来る学生も現われるくらいでした。いやあ、こうなる前に忍び込んでおいて本当に良かったです。

 

 

 私も、そんな恵まれた環境で曲がりなりにも恥ずかしくない研究成果を出すことができたので、現在、縁あって宮城学院にお世話になることができました。今回、リレーエッセイの場をお借りして自分の過去を振り返ってみて、つくづく思うのは、自分の前には運命の分かれ道が無数にあったということです。そして、たまたま、ほかの道を選ばず通ってきた、たった一本の道が今の私に繋がっているということです。あと一年後にアメリカの大学院に出願していたら、あの時インディアナに行っていたら、そして、K君が留年していなかったら、決して、今の自分にはたどり着かず、今は別の自分がどこか別の場所で別の道を歩み続けていることでしょう。
 もちろん比べることはできないのですけれども、一番いい道を進んで来ることができたと本人は思っているようですよ。