宮城学院女子大学リレーエッセイのページにようこそ。
一般教育部の天童睦子と申します。
すべての学部・学科の新入生に「女性と人権」を教えています。女性学、ジェンダー論、子育てと教育の社会学、キャリア形成論を専門としています。
ここでは女性学、ジェンダーの視点から、女子大学で学ぶ意味をわかりやすくお伝えしましょう。
女性の学びが未来をひらく!
本学は1886(明治19)年、東北初のミッション系女子高等普通教育の機関として誕生しました。その伝統を現代に活かして2015年度からは、女性としての生き方を問い、将来の方向性を考える教育科目(MGUスタンダード)の充実が図られています。そのなかで、女性学やキャリアデザインの科目は、現代を生きる女性たちのキャリア形成(生き方、働き方)に欠かせない、女子大学ならではの学びの視座を提供しています。
女性学ってなんだろう?
女性学は、1970年代に欧米で生まれた学問領域で、女性を対象にすえ、女性の視点による研究を展開する学際性に富む学問です。日本では「女性の、女性による、女性のための学問」(井上輝子)との定義が知られています。
女性学、ジェンダー(社会的・文化的性別)の視点でものごとを再考してみると、意外な発見があります。身近な事例としてスポーツとジェンダーを取り上げてみましょう。2016年夏、日本を熱く盛り上げたリオ五輪、28競技306種目のほぼすべての競技は男女ともに開かれていました。しかし時代を遡ると、近代オリンピック第1回アテネ大会(1896年)の参加者は男子のみ、第2回(パリ大会)で女性の参加が認められたものの、出場者総数のうち女性はわずか12人(0.9%)でした。女性への偏見と排除は長く続き、身体的差異を理由に、「女性に長距離は無理」「激しいスポーツは女性に向かない」といった固定的見方のもとに女性の参加競技は限られていました。たとえば日本でも人気の高い女子マラソンが設けられたのは1984年のロサンゼルス大会以降のことです。
いまは、陸上、競泳、サッカー、ラグビー、柔道、レスリング等々、実際の女性アスリートの活躍を見れば、スポーツにおける女性の「見える排除」は過去のものになりつつあるといえましょう。
とはいえ、ジェンダーをめぐる固定的偏見は、容易には消えません。社会制度、政治、文化、法、経済、教育などの仕組みには、男性優位の構造が深く埋め込まれています。とりわけ、日本は世界のなかでも公的領域における女性の活躍が少なく、世界の男女平等指数では101位(2015年世界経済フォーラム)と、ジェンダー格差が著しい国とみなされています。
女子大学で学ぶ意味
そのような状況のもとで、今あらためて考えてみたいのは女子大学の存在意義です。学校教育という制度は一般に、能力主義と男女均等の原則のもとで、性別による差異化が見えにくい場であることを、教育社会学や「隠れたカリキュラム」研究の知見が明らかにしています。学校文化はある意味で社会の縮図であり、部活動、生徒会の役割分担、授業での相互作用、進路選択などの諸場面に、男女間の暗黙の分離と序列、女子の排除といった「見えないジェンダー統制」が作動しかねません。共学にすれば即、男女平等になるというほど、教育のジェンダー平等の実現は単純な話ではないのです。
それゆえ、人生の一時期、女子大学(女子校)という場での学びの実践は、日常的なジェンダーバイアスから解き放たれた、新たな教育的価値を生み出す契機ともなる可能性をもっています。
現代の女子大学の意味をふまえて、本学の教育を紹介するならば、女性の生き方、キャリア形成を正面から見すえた教育プログラム、女性学・ジェンダー視点をいかした教養教育・一般教育の広い裾野と、少人数教育の組み合わせ、そこから生まれる女性のリーダーシップとチーム力といった特徴が挙げられます。
「望と愛と信」
本学には教え人(教員)と学び人(学生)のコミュニケーションの豊かさがあります。「望と愛と信」、校歌に記された理念を活かして、あなたの未来の扉をひらく鍵を、見つけてください。
天童睦子教授 著作の一部を紹介