人間文化学科教授 森雅彦

こんにちは。森雅彦といいます。西洋美術史の通論や、児童教育学科の美術論、人間文化学科のゼミを担当しています。

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さるイギリスの高名な美術史家のコトバによると、美術史家とは自分の好きな女性を、人にすてきでしょと言ってまわる野暮な種族なのだそうです。
 きっと恥じらいを込めた言葉なのでしょうが、そうかもしれませんね。わたしの場合で言うと、わたしは昔から、ティツィアーノ、ベラスケス、マネといった画家たちが大好きです。これはいかにも絵でしか表せない、絵らしい絵を描いた画家たちで、よく批評用語ではペインタリーな画家などと評されたりします。ここからわたしがいかに西洋美術の王道を体現した、正統な美意識の持ち主であるか(?)、ご理解いただけると思いますが、でもわたしは必ずしもこうした美術家たちのことを生業にしているわけではありません。人間はもう少し複雑な動物ですからね。

(右)学生時代の古ぼけた写真中の23歳のわたし、いかにも正統派のオーラを漂わせていますね(どこがぁ、たんなる不良兄ちゃんじゃん!)。

 re111018b前述した大美術史家は、美術史という学問は趣味の克服だとも言っています。
ある美術品を見て、好き・嫌いは誰でも直感で言えますよね。でも自分にはすぐにピンとこない作品を、いろいろ見たり調べたりしていると、不思議なもので、だんだん理解できていく、自分なりのイメージができてくる、それが嬉しいというんですね。これもそうかもしれないので、どちらかというと、わたしはアカデミスムの美術とか、マイナーな美術家とか、世に無視され誤解されすい芸術事象の方に知的好奇心があります。好き嫌いと、理解は違います。美術史はその意味では、ときに趣味の克服なので、どうせ最後に好き嫌いを言うのなら、それなりにじゅうぶん分かってから言おうというのが、わたしなりの趣味の哲学です。
 わたしの専門領域はイタリア・ルネサンス美術ですが、たとえばこれはミケランジェロの《ダヴィデ》(図1)。誰しも見たことあるでしょ。フィレンツェ大聖堂の後陣には15世紀初頭以来巨像があって(図2)、《ダヴィデ》も元来はそうした構想に由来するものだったの。
 しかし《ダヴィデ》の場合、1504年に完成してから設置場所をめぐっていろいろ議論が起こって、フィレンツェ政庁前に置かれたんですが(今そこにあるのは模作で、オリジナルはアカデミア美術館にあります)、実は昨年(2010年11月)、ホントに複製を作って大聖堂の上に起重機で持ち上げて設置してみるというイベントがありました(図3)。わたしは残念ながら映像で見ただけですが、おおっ、乙(オツ)なことをやるなあと思って、喝采したことは言うまでもありません。

 

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《ダヴィデ》が優れた美術品であることは多くのヒトに分かると思うので(たぶんね)、もうひとつ、この政庁の《ダヴィデ》の模作の横に置かれている彫像を挙げます(図4)。何だ、このキッチュじみた悪趣味なキン肉マンみたいな彫像は、という気になっちゃいますね(まあ、キモさを分かっていただくために、意識して背面からの図を載せています)。すると、なんでこんな作品を作るんだろうといったことに興味が湧くんですね。これは、ミケランジェロに敵外心を抱いていた、しかも他の人たちからはいやな奴として嫌われていたバッチョ・バンディネッリという人の作品です。この人、ほんとに、いっぱい悪口言われたり、風刺詩の対象になっているの。たとえば、彼の《キリスト像》をからかったさる風刺詩の一部――。

 

 われはバンディネッロの作りし者なり
 頭からつま先まで、とんだ不格好にされて
 セルヴィ街[の乞食の集う広場]に送られるものなら、物乞いだって何だっていたします
 もういつだって鑿で削るのはやめてくれ。

 

 とまれ、こうした美術家は、マニエリスムという芸術のパシリみたいなところがあるんですが、今のわたしはマニエラの美術家の芸術観とか発想とか、そうしたことに関心を持っていて、いろいろ史資料を読んだり、絵画・彫刻の作品調査をしたりしています。

 

 もっとも、人間文化学科のゼミの場合、2年生ではたいがいフランス近代美術のいろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむ(なおこの授業では古文のABCは勉強しない予定であります、念のため)を中心に学習することにしていて、印象派のように、いわば皆さんも聞いたことのある、それこそジョーシキを常識として多少深く学ぶことで、美術史入門となるように図っています。3・4年次の2年間は、前近代の美術(昨年度は皆でフェルメールを中心に、北方のバロック美術を学習しました。今年度は皆でイタリア・ルネサンスを勉強していて、年度の後半ではレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯を描いたイタリアのDVDを少しずつ見ながら、当の映像は何を根拠に作られ、どこまで歴史的な事実・史資料と符号するのか、その「時代考証」をしてみせる予定です)を題材にするように心がけて、古い時代の美術にも興味を持ってもらえるように努めています。

 

 むむっ、われながら真面目だなあ。うん、正系を知ってこそ、異端も異物?も面白くなるの。むろん、みなさんの興味が何であれ、それを尊重していますので、西洋美術に関心があったら、ぜひ一緒の勉強に参加してみて下さい。

 

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人生の骨董品あるいは別名メタボ大明神と化しつつあるわたし(数年前)とゼミの学生たち