<連載コラム>旅と人間:セーヌ川とフランス近代絵画の旅

セーヌ川とフランス近代絵画の旅

 今林 直樹

 

フランスを流れる川としてまず頭に浮かぶのはセーヌ川でしょう。パリを訪れて美術館や博物館、あるいはフランスの歴史を刻み込んだ史跡などを訪ねる時、そのそばにセーヌ川が流れていることに気づきます。

セーヌ川と人間との関わりはパリの歴史とともに古いものです。そもそもパリの発祥とされるのがセーヌ川の中州であるシテ島ですから、セーヌ川はパリを中心に展開したフランスの歴史をずっと見続けているわけです。

しかし、セーヌ川はパリを流れているだけではありません。実は、セーヌ川の源流はブルゴーニュ地方の山中にあります。そこからだんだんと水量を豊かにしてパリを貫流し、さらに蛇行を繰り返しながらノルマンディ地方を流れていきます。セーヌ川の蛇行の激しさは地図を見ればはっきりとわかります。ルーアンを中心に上流下流をみると、文字通り、蛇が這うように、セーヌ川がうねっているのがわかります。セーヌ川は決しておとなしい川ではないのです。そして、やがてノルマンディの海へとゆったりと流れ込んでいくのです。その全長は780kmに及びます。

さて、地図でセーヌ川を辿ってみると、その周辺にはモレ・シュルロワンやサン・マメス、アルジャントゥイユ、ジヴェルニー、ルーアンなど、モネやピサロ、シスレーなど印象派と呼ばれるフランス近代絵画の画家たちが数多くの作品に描いている場所があることがわかります。彼らはセーヌ川の風景を魅力的に描きましたが、彼らが描いたのは自然の風景だけではありませんでした。彼らはそこに住む人々や人々の生活環境の移り変わっていく様子を描き込んだのです。

美術史家の三浦篤(東京大学)は「印象派と水辺の風景―マネの《アルジャントゥイユ》を中心に―」という論文において、印象派の画家たちが揺らめく自然の一瞬の美しさを筆触分割の技法で定着させることに関心があったこと、そして描く対象となった場所が当時のパリ市民たちにとって「レジャーの地」であり、産業の発展にともなった「工場進出の場所」でもあったと述べています。そして、三浦は、その時代、トゥルーヴィル、サン=タドレス、エトルタなどノルマンディ海岸の地が、パリ上流市民のリゾート地として、あるいは観光地として開発され、産業化と中産階級の余暇という歴史的、社会的な背景が、印象派の絵画とさまざまな形で密接につながっていることがすでに明らかとなっていると述べています。

2013年10月から14年5月にかけて、東京富士美術館をはじめ福岡市博物館、京都文化博物館で『光の賛歌 印象派展』が開催されました。そこで展示された2つの作品から具体的に見てみましょう。

はじめに、カミーユ・ピサロ(1830-1903)の「ポール=マルリーのセーヌ川、洗濯場」を見てみましょう。川には洗濯船が浮かび、そこで働いている女性の姿があります。そして、遠景に煙をたなびかせている工場の煙突が描かれています。図録に記された解説によれば、変化してゆく都市生活の中で日常の労働を淡々と描写するピサロ特有の感性が現れているとのことで、工場の音も聞こえないかのような静かな画面の中に、生まれつつある「近代」へと移っていく風景が、ピサロらしく描かれていると思います。洗濯船もやがては姿を消していくことになります。

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次に、ギュターヴ・カイユボット(1848-1894)の「トゥルーヴィルの別荘」です。作者のカイユボットは富裕な家庭の生まれで、印象派の画家たちに経済的支援を行ったことでも知られています。これも図録の解説によれば、トゥルーヴィルは「浜辺の女王」と呼ばれた美しい海水浴場があり、別荘やホテルが立ち並び、夏は多くのリゾート客で賑わったとあります。カイユボットには「トゥルーヴィルのレガッタ」という作品もあり、レガッタ、すなわちヨット競技の様子が別荘とともに描き込まれています。これらは当時のパリ市民たちのレジャーの1コマを描いたものでしょう。

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これら以外にも、例えば、クロード・モネ(1840-1926)の「印象・日の出」には早朝から煙を出している工場が描かれているし、サン=ラザール駅に力強く蒸気を噴き上げて入線する機関車を描いています。また、カイユボットは、水辺の風景ではありませんが、「ヨーロッパ橋」を描いています。これらの作品群から明らかなように。印象派の画家たちはパリの「近代」をしっかりと刻印することになりました。彼らが「近代絵画の画家」と呼ばれるゆえんです。

コロナ禍が落着いたら、セーヌ川とフランス近代絵画の旅に出かけてみたいものです。