<連載コラム>旅と人間:北インドの聖地巡礼―ハリドワールからリシュケシへ

北インドの聖地巡礼―ハリドワールからリシュケシへ

 

人間文化学科 八木祐子

 

 インドのヒンドゥー教には、人生の理想的な段階として、四十期(しじゅうき)という考え方がある。学生期という「ヴェーダ」聖典を学ぶ時期、結婚して後継ぎをつくる家住期、隠居して林で静かに暮らす林住期、そして、聖地巡礼をして余生を過ごす遊行期(ゆぎょうき)である。
 インドで聖地巡礼の対象となる場所は、ほとんどが川である。というのも、巡礼は、ヒンディー語で、「ティールタ・ヤートラ(川の浅瀬を巡る旅)」と呼ばれ、川で沐浴して、身を清め、神に祈ることが主要な目的だからである。とくに、重要な川は、北インドを北西から南東へ横断するように流れ、世界7番目の長さを誇るガンジス川である。
 ガンジス川は、現地ではガンガーと呼ばれ、ガンガー女神の化身である。もともと天にあったガンガー女神が天から地上に落ちてきたさいに、シヴァ神が神の毛で、その衝撃を受け止めたという神話がある。ヒンドゥー教の神様を描いたポスターや絵葉書には、シヴァ神の髪の毛からガンガー女神が顔をだし、水を吹きだしている構図がよくみられる。ちなみに、ガンガー女神は、ガンジス川にすむクンビーラというワニに乗っているが、このクンビーラは、日本では金毘羅と呼ばれる。

聖地ベナレス

シヴァ神とガンガー女神(シヴァ神の髪の毛のなか)

 
 生産力・浄化力があり、天に源をもつガンジス川で沐浴することは、ヒンドゥー教徒にとって大いなる喜びである。沐浴は、単に身体の汚れを落とすことではなく、罪やケガレをはらう宗教的行為であり、1日1回はおこなう宗教的義務である。私が文化人類学の調査をおこなっている北インドの農村では、寒い時期でも、子どもたちは朝から水で沐浴して学校に出かける。北インドの12月~1月は朝夕10度以下になるので、毎朝、大騒ぎしながら沐浴する子どもたちに、私は、いつも感心している。
 クンブメーラ(大沐浴祭)という聖地で沐浴をする盛大な祭がある。この祭りは、ハリドワール、アラハバードなど4か所で12年に1度おこなわれる。ヒンドゥー教徒にとっては12年分の罪やケガレをはらうことができるので、祭の1か月間、膨大な数の人々が世界中から訪れる。
 30年以上前になるが、私も、ハリドワールで開催されたクンブメーラに参加したことがある。ハリドワールは、ヴィシュヌ神の街と言われる北インドの重要な聖地である。9月の暑さが残るなか、調査地域の村から列車で10時間乗って首都デリーまで行き、そこからさらに列車で10時間揺られて、ようやくたどりついた。列車のなかは、ハリドワールに向かう人々であふれ、ギュウギュウ詰めで、動くこともままならなかった。ハリドワールに着いてみると、さらにものすごい人だかりで、寝る場所もなかった。多くの巡礼者は、駅前や公園で、地面に敷物をひいて雑魚寝状態である。私は、列車のなかで知りあった家族が泊まる宿舎の中庭に、寝袋をひいて寝た。
 ハリドワールの街では、巡礼者に、無料で水を配っていた。水は、とても冷たくて甘く、旅で疲れた身体にしみわたった。これを「甘露」だというのだと実感した。1か月の祭のなかでも、とくに、ある数日の重要な数時間に沐浴するといいというので、私も知り合った家族と一緒にガート(沐浴場)に行った。そこでは、巡礼者の神への想いと熱気を感じた。ものすごい人であふれるなか、私もサリーを着て沐浴した。すると不思議なことに、疲れがとれた気がした。
 ハリドワールに数日間滞在したあと、さらに列車で数時間北上し、リシュケシュに移動した。
リシュケシュは、ビートルズが滞在したことで知られ、修行者だけでなく、旅行者用のアシュラムがたくさんある。現在では、日本人にもヨガの聖地として知られ、世界的にも有名な観光地になっている。その頃は、旅行者のほとんどがインド人で、インド好きの外国人が訪れるだけだったので、山あいにある静かな街だった。ヒマラヤからの冷たい清らかな水が流れる川で、人々が沐浴していた。私もアシュラムで泊まり、沐浴したり、ヨガを習ったりして、数日間、過ごした。ハリドワールの喧騒を離れて、身も心もリフレッシュした。
 リシュケシュには、遊行期を過ごしているような老夫婦がいた。私も、あと数年で定年を迎える。今は、仕事に追われる毎日だが、定年後は、インドの人々にならって、リシュケシュを皮切りに、インドの聖地をのんびりと旅してみたいと思っている。
 

聖地ハリドワール

クンブメーラの沐浴風景

*写真は、すべて、筆者撮影。シヴァ神とガンガー女神は市販の絵葉書を撮影したもの。