<連載コラム>病と人間 [5] ものを言う牛の話―沖縄の昔話から―

 

ものを言う牛の話-沖縄の昔話から-

今林 直樹 教授

 
 2021年の干支は丑です。
 物事が遅々として進まないことを、牛の歩みに例えて「牛歩」といいます。日本の国会で野党議員などが投票にあたって故意にゆっくりと投票箱に進んで議事を妨害する行為を「牛歩戦術」などと呼んでいますね。物事の進捗状況とは何の関係もなく、まして日本の政治とは縁もゆかりもない牛からすればはなはだ迷惑なことでしょう。ただただ牛を見た人間が勝手に牛を「のろまで鈍い動物」にしてしまっているのです。今年が丑年ということもあって、牛のそんなマイナス・イメージに対して、あるテレビ番組の中で「馬ほどではないが、実は牛も速く走ることができる」ことを見せてイメージ回復を訴えているものがありました。牛の走りは驚くほど速いものではなかったのですが、たしかに「牛も走るのだ」ということをあらためて確認しました。
 
 では、人は牛をマイナス・イメージだけでとらえてきたのでしょうか。その疑問を解くために『日本昔話通観 沖縄』(同朋舎)を繙いてみましょう。同書に収録されている「牛」にまつわる昔話をみてみますと、タイトルに「牛」が入っているものが14話ありました(但し、そのうちの1話の主人公は馬ですが、物語の話型からみて分類上は牛型になっているそうです)。それぞれの話にはいくつかの類話があわせて収録されていますから、それらを含めるとかなりの数で「牛」にまつわる話を見出すことができます。しかも、それらは沖縄諸島から宮古諸島、八重山諸島の島々でも語り継がれてきていて、話数が多いだけではなく地理的範囲も沖縄全域にわたっていることが確認できます。試みに、『日本昔話通観 北海道(アイヌ民族)』をみてみると、圧倒的に多いのが「熊」にまつわるもので、「鮭」や「狐」なども目立っていますから、昔話に登場する動物たちにはやはり地域性があると思われます。では、「牛」はというと、実は昔話の北海道編には「牛」をタイトルに含むものは1話もありません。北海道は、広々とした草原が広がり、酪農が盛んな地域だというイメージが強かっただけに、この結果にはやや意外な感じがしました。
 
 さて、沖縄に残る「牛」の話で興味深いのが「ものを言う牛」の話です。「牛がしゃべる」ということだけでもびっくりですね。話としては4話が収録されていて、それぞれ、①「賭け型」、②「話の功徳・賭け型」、③「証言型」、④「報恩型」に分類されています。①は宮古諸島・多良間島の多良間村、②は沖縄本島の与那城村津堅(表記は収録当時の地名です。以下同じです。なお、与那城地域は現在ではうるま市に属しています)、③は中頭郡読谷村座喜味、④は八重山諸島・石垣島の石垣市宮良で語られている昔話です。そして、①には読谷村や那覇市をはじめ竹富島、鳩間島、与那国島で集められた11の類話があり、同じく②には沖縄本島の恩納村、国頭村、読谷村、勝連町津堅島の4話、③には読谷村の2話、④には石垣島、竹富島、多良間島の3話が類話として収録されています。繰り返しになりますが、この話数と地理的広がりだけをみても「ものを言う牛の話」が沖縄全域にわたっていることがわかります。しかし、なぜか「牛の島」として知られる八重山諸島の黒島は入っていません。この点は謎です。
 
 では、「ものを言う牛」とはどのような昔話なのでしょうか。概略で次のような話です。
 一匹のやせた牛が、飼い主に野原につながれて放置されているのを見てかわいそうに思った男が、牛を草のあるところに繋ぎかえてやる。牛はその恩に報いようとその男に「飼い主から自分を貰ってくれ」と言い、飼い主はやせ牛のこととて男に牛を与える。すると、牛は元の飼い主には肥えた牛がいるので、その牛と宝を賭けて決闘するよう申し込むことを勧める。男がそのとおりにすると、一計を案じたやせ牛が首尾よく肥えた牛に勝つ。そして男が宝を手に入れるというものです。
 この話には次のような別のヴァージョンもあります。牛が通りかかった男に「水を飲ませてくれ」と話しかけ、水を飲ませてもらう。牛は男の恩に報いるため飼い主に「この牛はものを言う」と告げさせる。飼い主は「牛がものを言うはずはない」と言い、その証拠を見せたらその牛あるいは自分の財産をやると約束する。飼い主が話しかけても牛はしゃべらなかったが、男が話しかけるとしゃべる。こうして男は牛と財産をもらって幸せに暮らすというものです。
 
 興味深いのは、その後、男が「ものを言う牛」と暮らすうち、牛が寿命を悟ったのでしょう、自分を殺してくれるように語る場面です。それは次のようなものです。


 (牛は)「ああ、もう私をそんなに長い間飼ってはいけないから、殺して、道に連れ出して、通る人々に差し上げなさい」と言った。「ああ、私たちには殺せない」と言うと、「それでは、村中の人たちを集めて、殺し、辻に出して通る人々に食べさせて、また木の葉に血をつけて、左縄で巻きなさい」と言う。(中略)
 そのようにすると、それを食べた人は、今は風邪といっているが、昔はフーチといって、風邪返し、熱返しといって、別の島では、それが流行って多くの人々が助からなかったが、それを食べた人々は、どうということはなかった。そのために津堅や勝連や与那城では、シマサクラーとも言うが、これをするようになった。風邪除けとしてね。

 他には、殺した牛の血(あるいはそれを湿らせた左縄)や骨が人間や家畜の疫病を防ぐとしているものもあります。つまり、牛は「災厄を払いのける」機能を持つ動物として敬われていたのです。
 牛は生きているうちに人間に幸せをもたらすだけでなく、死んでもなおその血や肉、骨までもが人間や家畜を疫病から守るというすばらしい、人間にとってはとてもありがたいパートナーだったのです。「ものを言う牛」の話が沖縄全域で語り継がれるゆえんですね。こうなると牛というのは私たち人間にとってなんとも愛しい存在です。
 

 2021年は丑年です。牛のように、ゆっくりでもいい、しかししっかりと地に足を踏ん張って力強く、コロナ禍に負けないよう、牛歩で進んでいきましょう。

 

今林 直樹 教授
研究分野/キーワード:フランス政治史、沖縄政治史
主な担当科目:政治学概論、政治社会論、地域文化論
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