<連載コラム>病と人間 [3] 病を生き抜く 中世の黒死病パンデミック

 

病を生き抜く 中世の黒死病パンデミック

櫻井 美幸 准教授

 
 ヨーロッパで最初のパンデミックとして知られるのが、1348年から数年荒れ狂った黒死病、つまりペストによるものです。ペストはクリミア半島からイタリアに上陸した後、数年でほぼヨーロッパ全土に広がり、ヨーロッパの人口三分の一を失わせるという甚大な被害をもたらした疫病です。ネズミやリスに寄生するノミから人間に伝染し、発症するとリンパ腺がはれ、体が黒くなって数日間で亡くなるという恐ろしい病気でした。この時代ヨーロッパの人々には免疫がなかったため(勿論原因は分からないし薬もありません)、あっという間に広がりました。

 中世の人々は、年代記という日記のようなものを残しているので、何年何月何日、どこにペストが伝染していったか(大体南から北へ)が分かります。恐ろしい病気だったので、中世の人々にとっても書かずにいられない出来事だったのでしょう。

 さて、ペストに侵されると皆なす術(すべ)がなかったと思うでしょうか。ところが、被害を最小限に抑えた都市もあるのです。どんな対策を取ったのでしょう。

 まず、イタリアの大都市ミラノ。フィレンツェやヴェネツィアが人口の約半分を失った、と言われるのに対してミラノはたった三家族の犠牲で済みました。その理由は、この都市が当時ヴィスコンティ家の専制下にあったことです。厳格に外との出入口だった市門を監視、外から市内に誰も入らないようにし、感染家屋を壁で囲んで中の家族全員が死ぬのを待ってから家屋に火を放って焼いてしまう、という強引な措置を取りました。

 ここまで徹底した対策をせずに、最小限の犠牲で済んだ都市もあります。ドイツのニュルンベルクという都市で、人口の約10%を失うにとどめました。ちょうど流行期が真冬だったこともありますが(ペスト菌は夏に活発化します)、ある研究者は別の理由を挙げています。それはニュルンベルクが公衆衛生に熱心だったから。市内の道は舗装され、定期的に清掃されていたのでごみ一つ落ちていなかったそうです。家に風呂がなかった時代、公衆浴場がたくさんあり、市政府によって厳しく管理されていました。入浴の習慣が今ほど広まっていない中世において、ニュルンベルクでは労働者の賃金に入浴料金が含まれていたそうです。医者もたくさんいて、彼らの助言によりペスト感染者の遺体は都市の外へ埋葬されることとなり、死者の衣服、寝台は焼かれ、部屋は燻蒸されました。このような徹底した対策により、死者を最小限に抑えることができたのです。ミラノは真似できないですが、ニュルンベルクの例は今も参考になるかもしれません。

 さて、黒死病の際は被害を最小限に食い止めたニュルンベルクですが、第二次大戦時には連合軍の標的(ナチスに愛された都市でした)にされ、1945年には一時的に都市の人口は半分に減ってしまうという惨禍にみまわれました。
 げに恐ろしきは、感染症か、はたまた人間そのものか…。

(参考:宮崎揚弘『ペストの歴史』岩波書店 2015年)

 

櫻井 美幸 准教授
研究分野/キーワード:西洋史、ドイツ中・近世史、女性史、宗教改革
主な担当科目:西洋史概説、西洋社会の歴史、女性の歴史、世界遺産概説など
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