<連載コラム>病と人間 [2] 病を想う

 

病を想う

高橋 陽一 准教授

 
 私は江戸時代(1603~1867)の温泉について調べています。もちろん研究の一環ですが、趣味と実益を兼ねているとよくいわれます。

 今日、温泉と聞くとレジャー・観光・癒しといった言葉を連想します。入湯そのものよりも現地での食事の方が楽しみという人も多いでしょう。しかし、江戸時代の温泉は医療の場として位置づけられていました。温泉に2~3週間滞在し、持病や傷を治す、いわゆる「湯治」です。当時刊行されていた温泉の見立番付『諸国温泉効能鑑』には、名称と共に各温泉の効能(「瘡毒(梅毒)によし」「眼病によし」など)が記されています。景色やグルメではなく、効能こそが温泉利用者の最大の関心事でした。

 では、温泉でただひたすら入湯していれば、病気を治すことができたのでしょうか。そうではありません。当代随一の博物学者で、江戸時代の温泉療法の土台を築いた貝原益軒(1630~1714)は、健康についての指南書『養生訓』(1712)の中で次のように説いています。

湯治の間、熱性の物を食ふべからず。大酒大食すべからず。時々歩行し身をうごかし、食気をめぐらすべし。湯治の内、房事をおかす事大にいむ。(中略)湯治しても後の保養なければ益なし。

 
 湯治中は熱性の物は食べてはならない、大酒大食をしてはならない、時折歩行して気(体内のエネルギー)をめぐらすようにし、房事(性行為)をしてはならない、そして湯治の後も保養しなければ「益なし」、だというのです。つまり、温泉滞在中には羽目を外さず、たまに体を動かしながら慎ましく過ごさなければならず、滞在後もそれを続けなければ効能が得られないということです。病気を治すには日ごろの節欲慎身が必須だということでしょう。


江戸時代の医療の場、温泉(『奥州仙台領青根温泉之図』、川崎町青根温泉佐藤仁右衛門家文書)
※身を慎みつつ、適度に体を動かすことも温泉療養の一環であった。

 
 日常の節欲慎身は温泉療養のみに当てはまるのではありません。それは、病気療養から健康法にまで貫かれている、益軒の医療に対する基本的な考え方でした。『養生訓』には、次のような言葉があります。

古語に、「病想を作す」と。云意(いうところ)は、無病の時、病ある日のくるしみを、常に思ひやりて、風・寒・暑・湿の外邪をふせぎ、酒食・好色の内欲を節にし、身体の起臥・動静をつつしめば病なし。(中略)病なき時、かねてつつしめば病なし。病おこりて後、薬を服しても、病癒がたく、癒る事おそし。小欲をつつしまざれば、大病となる。小欲をつつしむことはやすし。大病となりては、苦しみ多し。かねて病苦を思ひやり、後の禍をおそるべし。

 
 ふだん無病のときに、病気になったときの苦しみを想像して外邪(病気の外的要因)と内欲(飲食欲や性欲)を節制し、起居動作を慎めば病気にはならない。小さな欲を慎まず、大病を患うと苦しいのであり、その病苦を想うべきである。ここで益軒が主張しているのは、病気になる前の予防の大切さです。病で苦しむことがないよう節欲慎身につとめよ、ということです。

 
 益軒が活躍した17世紀後半~18世紀前半は西洋医学が日本に広まる前であり、医療は儒学の影響を色濃く受けています。節欲して身を慎めば病気にならないなどという説は、道徳的で非科学的だと思うかもしれません。しかし、猛威を振るった新型コロナウィルスに対して、現代の免疫学の専門家は、ウィルスに対抗する免疫力をつけるためには栄養や睡眠をしっかり取り、暴飲暴食を避け、適度な運動をすることが肝要だと述べています。細かな理論や根拠に違いはあるかもしれませんが、益軒の温泉療法や予防医学に通じる考え方です。

 ちなみに、益軒は病気予防のためにはとことん禁欲的であれといっているわけではありません。最後に、『養生訓』の次の一節を紹介しましょう。

ひとり家に居て、閑に日を送り、古書をよみ、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古法帖を玩び、山水をのぞみ、月花をめで、草木を愛し、四時の好景を玩び、酒を微醉にのみ園菜を煮るも、皆是心を楽ましめ、気を養ふ助なり。

 
 一人家で過ごして書物を読み、四季の風景を愛で、酒をたしなむこともエネルギーを養う助けになるのです。

 
 未知の病原体に対して、無力な私たちは恐怖心を抱くかもしれません。しかし、江戸時代の人々が不治の病に遭遇する可能性は、現代の私たち以上に高かったはずです。そんな時代の世情をとらえたのが、病を想い、節欲慎身せよという益軒の教えでした。

 説教臭いと思うなかれ(精神論でも良いじゃないか)。病気に感染しないために家で自粛すると義務的に考えるのではなく、小さな世界で穏やかに慎ましく暮らすことで免疫力を高め、病気に負けない体を育んでいる、と前向きに考えてみるのも良いかもしれません。

 

<参考文献>
貝原益軒『養生訓 和俗童子訓』(石川謙校訂、岩波書店、1991年)
コロナに負けない免疫力をつけるために」(ビデオニュース・ドットコム、2020年5月9日配信)

 

高橋 陽一 准教授
研究分野/キーワード:歴史学(日本近世史・旅行史・観光史・地域社会史)、歴史資料保全学
主な担当科目:総合コース(東北と日本)、基礎演習(宮城の歴史を読む)、教養講義A(郷土)
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