【もりのこどもえんだより:巻頭言】許しと赦し

許しと赦し

末光 眞希

そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。(マタイによる福音書 18 章 21-22 節)

 

数年前、あるテレビドラマの主題歌をドリカムが歌っていました。題して“YES AND NO”。
「たったイッカイやらかしたら終わり/そんなイマを窮屈に生きてる/なんでみんな許さないの?/そしてわたしは許せるの?」
たった一回の失敗もゆるさない日本社会の冷たさをよく表す歌でした。

日本語のユルスには「許す」以外にもう一つ、「赦す」があります。これら二つの言葉は、時間の向かう先が違います。「許す」はこれから行う行為を認めること、「赦す」はすでに行った行為の失敗を責めないことです。ドリカムの歌は「たったイッカイやらかした失敗ぐらいユルせよ」がメッセージでしたから、「赦す」を使うべきでした。残念!

弟子ペトロはイエス様に「自分に対して罪を犯した人を何回まで赦すべきでしょうか」と尋ねました。「7 回までですか?」と彼が尋ねた時、彼は自分の寛容さをイエス様に褒めてもらいたくてそう言ったに違いありません。「俺って偉くない?」と訴えるペトロのドヤ顔が目に浮かびます。しかしイエス様はそんな彼の心を見透かしたかのように、「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」と言われました。十字架にかかって私たちの罪をお赦しになるお方だけが発することのできる言葉でした。

私たちはもう少し赦しあうべきです。「赦し」のない中で育った子どもは、「許し」がないと何もできない子どもに育つことでしょう。創造性は「許し」ではなく「赦し」から生まれると思います。

(もりのこどもえんだより1月号掲載)