【備忘録 思索の扉】 第十五回「幅(はば)」

今年度最後の思索は,「幅(はば)」という考え方についてお話ししようと思います。

物事には「幅」というものがあり,その幅を感じることが大事だ,と,私は常々思っています。
ごく身近な例で言えば,私が今晩何を食べようか,と考えたとき,
唯一の正解,なんてものは,ほとんどの場合存在しないでしょうし,
かと言って,なんとなく食べたいものや食べたくないものはありそうです。それが幅です。
もっと大きな例だと,この先,自分がどんな生き方をしていきたいか,と考えたときも,
やはり唯一の正解なんてものはありそうにないですが,なんとなくしたいことやしたくないことはありそうです。
そうなのです。あたかも自分が普段道を歩いているときに,
ギリギリ歩けるくらいの細長い一本の道ではないによせ,進んで良い道路の幅が決まっているように,
私たちの行動や思考には,たえず「幅」がついて回っているのです。
この「幅」を感じることができるかどうかは,物事をうまく進めるうえでとても重要です。
道路の中央が唯一の正解だと思って,そこばかり歩いている人は,窮屈な思いをすることでしょう。
一方,道路の端に寄り過ぎると,車にぶつかる危険が増していきます。

実は,幅は自分の進む道だけにあるのではありません。
世の中に存在するものやその動き,あらゆるものが幅を持っているものです。
世界を見るとき,日本人流の考え方が常に唯一の正解だなんてことは,きっとないでしょう。
が,世の中が上手くいきそうな,あるいは上手くいかなそうな出来事は,確かに存在します。
この「幅」を感じることができれば,色んなことが見えてきそうです。

しかしながら,この「幅」という考え方は,現実にはあまり浸透していないように思えます。
それどころか,幅をなくすことが良いことのように考えられている気すらします。
システム化,規格化されたものが良いもので,そこから外れるものはすぐに違反扱いを受けてしまいます。
学校では,小さな頃から「唯一の正解」ばかりを勉強し,それ以外のことは無駄と考え,
幅のない細い知識ばかりをためていく「頑張る記憶」であふれていたりしないでしょうか。

あるいは逆に,何か問題に直面したとき,「正解がわからない」と言った瞬間,
それは往々に「何でも同じ」ということを意味してしまいます。
「正解」か「不正解」か,ということばかりを問題にしていては,
その中間となると,きっと途方に暮れることになってしまうのでしょう。
こんなとき,「幅」という考え方を思い起こし,それを感じるように気持ちを向けられれば,
「より正解に近そうだ」とか「より正解から遠そうだ」なんていう発想ができるのですが……。

物事には幅がある。
そう認識したうえで,その幅を感じ取ろうとする気構えを持ち続けること。
それができれば,世の中を広く見渡し,豊かに生きていけるのではないかと思っています。

小羽田誠治 中国語・東洋史学)