このシリーズではたびたび、16世紀ドイツの劇詩人ハンス・ザックス(1494年~1576年)の謝肉祭劇を取り上げて来ました。ザックスが生きた時代は、ちょうどマルティン・ルターの宗教改革とそれに続く動乱により、ドイツ(当時は神聖ローマ帝国)全土が揺れていたドラマチックな時期でした。ザックス自身もいち早くプロテスタントに転じ、ルターのことを、新時代の夜明けを告げるナイチンゲールに喩えて賞賛しています。庶民の笑いに満ちた彼の劇作には、一見するとそうした深刻な要素は反映されていないように見えますが、登場キャラたちが語るセリフをよく読むと、時代の陰影が随所にあらわれています。ここから数回は、そうした歴史的背景とのつながりを見て行きましょう。
今回取り上げるのは、1540年に書かれた「ケーキ買い」。物語は単純です。謝肉祭の日、町の宿屋にのっそり入って来た農民テルプ。店内でひと遊びしようとするのですが、居合わせた市民のおやじと貴族の旦那に、「ここはお前が来るところではない。村の呑み屋に行け」と言われて追い出されそうになります。農民階級に対するあからさまな蔑視ですが、テルプはそれで引き下がるような男ではありません。見事な主張で2人に言い返して行きます。
テルプ曰く。「百姓の血管が切れたら、お前さん方2人とも出血多量で死んじまうべえ」、自分が畑で働いて「おめえ方二人を食わしてやっとるだ」。つまり、貴族が食っていけるのは農民から貢租を得ているから、都市民が商売に専念できるのは、周辺の村々が穀物その他の食糧を町に供給しているからではないか、というのです。実は彼らのほうが農民に依存しているのですね。
さらにテルプは言いつのります。「村の神父さの話ではアダムはおれたち万人の父だと。ならば三人ともその子供でねえか。」 聖書が教えるように、人類の始祖は同じ。ならばわれわれは同じ兄弟だろう。平等を訴える大胆な言葉です。「そうは言っても、身分に上下はあるぞ」と反論する貴族に対して、テルプは、孤児や寡婦など弱きを助けることこそ貴族の本分であり、その徳の上に貴族の地位は立っているはず、「おめえさまもそうしとるか」と問いかけます。分が悪いことを悟った貴族殿、「昔の農民は立派だったが、今の貴様らはそうではない」と論点をずらしにかかりますが、彼は「誰の方が良い人か神のみぞ知り給う」と言って動きません。
その後、自分たちがいかに自由な身分であるかを自慢する2人に対して、テルプは、農民とて村のことは自分たちで決めている、貴族が偉いのも税金をたんまり取っているだけではないか、市民だって苦労が多いと論破。最後には貴族もその言い分を認め、彼を食事に招きます。
特にストーリー性は無く、3人の掛け合いだけで終わる短い劇ですが、成立年代を考えると、この内容には驚くべきものがあります。1524年~26年にかけて、ドイツ各地で農民戦争の嵐が吹き荒れました。1524年5月にシュヴァルツヴァルト地方で始まったこの騒擾は、農奴制の廃止、重税の緩和や領主特権の制限などを掲げた大規模な闘争となり、フランケン、シュヴァーベン、テューリンゲン、更にティロルやザルツブルグにも拡大して行きます。ザックスが住んでいたニュルンベルクの近郊でも1524年春、農民たちの抗議が噴出し、都市当局は混乱が広がるのを防ぐために躍起になっていました。最終的に彼らの蜂起は諸侯軍の反撃によって粉砕され、10万人にも及ぶ犠牲者を出したとされています。このような血塗られた現実が、テルプの主張の裏にあるのです。
ザックスの劇では、末尾において市民が、「なにぶん百姓はがさつな奴ですので、平にご容赦を。品の良くない者と付き合っては、同じ色になりますぞ」といった上から目線なセリフを述べて幕引きとなりますが、そう思うのなら、最初からこのような劇を書かなければよいだけの話。反抗的な農民の口を借りて、貴族や市民の思い上がりを皮肉った作品と言えそうですね。
農民に対するザックスの態度は、かなりアンビバレントです。彼の謝肉祭劇には、農民を愚鈍で無知な者として笑いのめす都市民らしい偏見が見られるほか、彼らの安楽な生活ぶりを強調するなど、農村の苦しい状態を無視する傾向もあります。「ケーキ買い」におけるテルプの姿にもそうした笑話的要素が見受けられますが、彼の素朴な雄弁にはほとんど崇高な響きがあり、宗教改革初期の頃の社会の躍動感をとどめているようです。ザックスも、かつての熱い日々を懐かしみながらテルプのセリフを書いたのでしょうか。(栗原健 キリスト教学)
* 出典:藤代幸一・田中道夫訳『ハンス・ザックス謝肉祭劇全集』(高科書店、1994年)、168-178頁。
* 写真:ヘルフォルト、レーメンズニーダーハウス(1521年建造)の木彫り