2024.1.11
皆さん,あけましておめでとうございます。
「実践中国語」は,本学が2018年度に導入した「副専攻プログラム」の中国語の必修科目として,
中国語話者を育てることに成功している科目ですが,
2022年度もまた前年度に続けて修了生3名を送り出すことに成功しました。
必ずしも全員が卒業後に中国語を活用できているわけではないようですが,
「仕事で時々使っている」とか「趣味で続けている」といった声もあるほか,
今年度はなんと「中国系企業に転職して上海に行くことになった」と報告してきた卒業生もいました。
聞くところによれば,これまでの職場よりもずっと良い待遇が得られそうとのこと。
大げさかもしれませんが,大学での中国語(私の授業)との出逢いで人生が変わってしまったようです。
さて,毎年恒例となっていた私の中国語の授業成果報告ですが,
今年度は趣向を変えて,私の中国語教育論を語ってみたいと思います。
たった数年間の週1コマの授業で「中国語を話せる」という実感を持てるようになる授業とは,
一体どんな「考え方」に基づいているのか,というお話です。
- 日本語を「補助輪」とする
「外国語をマスターする」ことは,究極的には「外国語を外国語のままで理解する」ということです。
ですから,なるべく早くから「オール外国語」の授業が望ましい,という説もよくあります。
しかし,私はあえて「日本語」の力を積極的に借りた授業運営をしています。
単語の学習はもちろん,会話の内容も「日本語から考える」ことを大いに推奨しているのです。
これは,私が何よりも「意味がわかる」ということを重視しているからで,
日本語でしっかり意味がわかったうえで,それを中国語で考える練習をしていき,
それがだんだん慣れてくると,日本語の必要度が下がってくるのではないか,という考え方です。
これは日本語を自転車の「補助輪」に見立てているということでもあり,
また日本語との比較で外国語(私の場合は中国語)を理解するということでもあり,
むしろ両言語の特徴の違いがよくわかるのではないか,と思います。
- 学生自身の「トライ&エラー」を大事にする
「正しい知識を得れば正しく使えるようになる」というのは,学校教育の基本的な考え方で,
まずは「正しい文章を読む(覚える)」ことから始める語学教育がほとんどかと思いますが,
それでは本当の意味で自分のものにならない,と思うのです。
ですから,私は授業において学生の間違いを責めたりすることはありません。
それは「間違う」という過程が「正解する」と同じくらい重要だと考えているからです。
この考え方に,特に私の授業を受けて間もない学生は抵抗を示しがちですが,
「間違うことは恥ではない」ということを理解したあたりから,レベルが飛躍的に伸びてきます。
もっと言うと,「あなたと同じ間違いをきっと他の人もしている」はずで,
であれば,クラス全員が相乗効果的に学んでいることになって,一石何鳥にもなりますね。
あまり長くならないように,今回はここまでにしておきますが,
上の2つのポイントは,奇しくも昨年度刊行された『言語の本質』(今井むつみ・秋田喜美)でいう,
「記号接地」および「仮説形成推論」と共通するものがありました。
私の実感・実績に,言語学の専門家による理論的根拠が得られたと言えるでしょう。
日本一成果のあがる中国語教育を目指して,これからも思索を続けていきたいと思います。
(小羽田誠治 中国語・東洋史学)