児童教育学科教授 生野桂子

1. よい先生とは

私は小学校教員となるのに必要な科目である教科教育法や教育課程論などを担当しています。授業では、学生が「よい先生」「よい授業をする先生」になるための方向付けを行い、教師力をつけることを目指しています。

ところで、「よい先生」とはどのような先生でしょうか。また、「よい授業」とはどのような授業をいうのでしょうか。
「教員としてあるべき望ましい資質」として、文部科学省は、「教育者としての使命感」「人間の成長・発達についての深い理解」「幼児・児童・生徒に対する教育的愛情」「教科等に関する専門的知識」「広く豊かな教養」などを挙げています。

また、「よい授業」の条件については、多くの識者が指摘するように、「子どもが意欲的に学ぶこと、分かること」を挙げることが出来ます。
これらに基づく実践的指導力をそなえた教員こそが、求められる教員像だということになります。つまり、「よい先生」になるためには、小学校の教室で実践力を発揮する専門性があること、また、社会人としての豊かな人間性や深い教養を持ち合わせることが必要なのです。

2. “学び”のための“教え”

大学の授業では、上に述べたような教師像や授業のあり方について考え、小学校の教室を想定した実践力を育成しようとしています。以下、大学の授業の一端をご紹介したいと思います。

 

授業では、まず、「教育」について基本的に捉えておくべき内容として、「学ぶ」「学び」とは何かについて考えることから始めます。“学ぶ”とはどのようなことか、格言などから少し取り出してみましょう。学ぶとは、「世界と自分とを理解して、よりよく生きること」「教えを受け、自ら思索すること」「興味を持ち、前進すること」などとあります。また、学びとは、次の条件、すなわち、「主体的であること」「発見やより深い理解があること」「目的的であること」「楽しいこと」「継続性があること」などを持ち合わせるものです。

 

なるほど、小学生である子どもにとって、このような“学び”が得られる授業は素晴らしいものですね。そして、子どもの学びのためには、教師の“教え”の介在が不可欠です。いかに授業における子どもの主体性や自主性が大切だとはいえ、子どもにまかせきりの放任では、子どもに育成したい能力と、子どもが身につける能力との間にはギャップがあり、真の学びが得られません。教師の教えは、指導・支援と呼ばれますが、この指導や支援を巡って、教師は日々奮闘しているのです。

3.  学びの力を培う方法

知的能力は二面性を持っており、発達のためにはその両者のバランスが重要だと考えられています。
 一つは、分析的能力、つまり、知識獲得、解析、理解、判断、選択などの能力であり、この能力は読む、聞く、覚えるなどの受身的な活動によって身につくといわれます。もう一つは、洞察的能力・創造的能力、つまり、核心をとらえる力やアイディアを生み出す力であり、思考する、探求する、実行するなどの能動的な活動によって得られるというのです。

 

思考様式に当てはめると、情報分析型の集中的思考パターンと、包括型の拡散的思考パターンがあり、これらの思考パターンが総合的に働くことにより、知的機能がより発達するといいます。
今、拡散的思考を促す学習活動の例を挙げてみましょう。そこらに転がっている石ころを何かに役立てようと考え、次々にアイデアを出し合います。石ころが建築材料になったり、塗料となったり、武器になったりと様々です。また、学校で習った刺繍の仕方を自分の作品でどう生かしていくかを考える場合もあるかもしれません。授業形態でいえば、正解が一つとは限らず、個人によって正解が異なるオープンエンドの授業となります。
一方、集中的思考の例ですが、例えば算数の練習問題では数量的な正解は一つでしょう。

 

しかし、正答に至る解法は子どもから何通りも出されるかもしれません。情報の整理や構造化を行うという集中的思考が発揮されるからにほかなりません。授業場面では、誤答の分析はもちろん、正答の分析も同様に重要に取り扱うということとなります。
これらの学習活動や思考パターンがバランスよく配置されていることが重要だとなれば、授業をその点から見つめてみる必要があります。

4. 発問の大切さを知る

では、教師の教え(指導・支援)がいかに子どもの学びを左右するか、教師の子どもへの問いかけ(発問)を例に挙げて考えてみましょう。
小学校の授業で先生が子どもに向かうとき、先生は子どもに発問をします。この発問が適切に行われる場合、子どもは、発問を手がかりとして理解を深めることができます。

 

大学の授業の中で、学生が芭蕉の有名な俳句「秋深き隣は何をする人ぞ」を素材として、発問を考えた事例を紹介しましょう。学生達の考えた当初の発問は、①「隣の人は何をしているでしょう」、②「作者はさびしいのでしょうか」、③「作者は今どこにいますか」、④「「秋深き」より「秋深し」とした方がよいのではありませんか」、など様々でしたが、作品理解に導く発問はどれかについて話し合いました。その結果、「作者が隣人の気配を自分の部屋の壁越しに窺う様子をとらえること」により、「秋の寂しさや人恋しさをテーマにした作品世界に浸ることができる」と考え、適切な発問として③④を選択しました。

 

もう一例は、説明的文章についての発問を考えた事例です。
「常識では、土は、岩石が川の流れによってけずられたり、水や空気や日光の作用によって崩されたりしてできた鉱物だと思われています。しかし、実際の土を調べてみると、土は単なる鉱物ではなくて、その中には動植物の遺がいが変化してできた物質がふくまれ、数多くの生物がすんでいることがわかります。」

 

という説明的文章で、土についての正確な解釈を助けるための発問は、どうあればよいと考えたと思いますか。それは「土は鉱物ですか」という発問です。学生たちは、小学生が「常識では土は、~思われています」「土は、~鉱物ではなくて」という表現に惑わされて「土は鉱物でない」と読むかもしれないと考えたのです。そこで、この発問によって、「土が単なる鉱物ではない」という表現をキーフレーズとして捉え、「土は鉱物である」との正しい解釈に導くことができると考えたのです。

5. 授業を見つめる

授業には様々な要素があります。ここに挙げたように、教師が発問を選択することや思考パターンを選択することは、授業で重要な要素となります。しかし、そのほかにも、授業目標や内容・教材の適否、授業計画の立て方・時間配分・過程のスムースさ、評価のあり方、グループ編成、黒板に書く内容、資料、雰囲気、コミュニケーション等々、数多くの要素が教師によって選択され、実行されています。実は、発問ひとつとっても、多くの種類に分類することができ、どれを選択するかが授業を左右するという訳です。

 

学生たちは、こんな風にして日々、よりよい授業に向かうための授業の見方を鍛え、よりよい授業を目指しています。
教職に就きたいと考える皆さん、教師像について、また、授業について研究したいと思う皆さん、私たちと一緒に考えてみませんか。