食品栄養学科教授 平本福子

こんにちは! 食品栄養学科の平本福子(ひらもと・ふくこ)です。
私の専門は、食教育、調理教育です。

 いつもおいしいものを食べているのでは? とよく聞かれますが、これはもう「はい、そうです!」と答えるしかありません(笑)。
 私の研究室の隣にはゼミ生のための部屋があります。もちろん、冷蔵庫からオーブンまで、調理設備完備です。写真は9月11日、私が北海道で作った新巻き鮭が届いたので、ゼミの後、鮭のチャンチャン焼きをしているところです。味噌の焦げた香ばしい香りがとどきますでしょうか・・・

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ゼミ生たちはこの部屋で、子どもの食育活動の教材料理や高齢者施設で開いている喫茶ルームのお菓子を試作し、いつもおいしそうな香りが充満しています。平本ゼミの学生たちの元気な様子は、ゼミブログ「走る女子大生―平本ゼミの仲間たちー世界中の人々に食事づくりの楽しさを!」https://blog.livedoor.jp/hiramotozemi/をのぞいてみてください。
■ さて、専門の食教育、調理教育についてですが、調理というと料理作りをイメージされる方が多いのではないでしょうか。しかし、専門的には調理、すなわち食事作りとは、食事を構想することから、食材の入手(購入)、料理作り、食事作り、食卓作り、<食事>、片付け、保存からなる一連の複合行動とされています。
 まず、食事作りは食事を構想することから始まります。専門家では献立作成ともいいますが、私たちが「今晩何にしようかな」とか、子どもが「お昼に○○食べたい」と考えることもこれにあたります。ですから、実際に作らなくても、食べたいものを作り手に注文することも食事作りへの参加です。食事の構想は、嗜好(食物の好き嫌いだけでなく、広い意味での好み)、調理技術、知識、経済、一緒に食べる人の情報など、多くの情報を総動員して再構築することから、学校で子どもたちが給食のメニューを考えてリクエストする学習として用いられることもあります。
 次にイメージした食事を実際に具現化するプロセスです。
 食材の入手は現代人の多くの場合は食材を購入することです。食事作りに不慣れな人は食材を選択する力も少ないので、男性や子どもを対象とした講座では買い物をプログラムに組み入れることもあります。
 料理作りは1品の料理を作ること、食事作りは複数の料理を組み合わせて作ること、食卓作りとは「食事」は食物というモノであるのに対して、食卓はモノとヒトがいる空間です。ですから、テーブルセッティングはもちろんのこと、高齢者施設でお年寄りがテーブルを拭いたり、花を準備することや、子どもが「ごはんだよー!」と家族を呼ぶことも食卓作りにあたります。
 また、保存とは、食事の後、残りもの(次の食事を見据えて意図的に残したものを「残しもの」とも呼びます)を保存しておくことです。本来、食事は日々連続していることから、後日の見通しをもって進めることですが、現代人の食事は1回毎が単独で、料理を繰り回していくことが少なくなりました。食品栄養学科の1年生は夏休みに3日間の連続した食事作りを行いますが、「繰り回す」ことも課題のひとつです。
 以上の食事構想から保存にいたる一連のプロセスを経て、習得した情報、技能をもとに、次の食事構想につながり、これらが螺旋状につらなるなかで、食事作りの力が形成されていきます。
 2年前に河北新報で連載した「食事づくり入門」では、一般には材料と作り方を掲載されるところを、「献立を考えてみよう」「材料をそろえよう」「調理のコツ」「出来上がり」の4つのプロセスで紙面を構成しました。
 平本ゼミのブログには「世界中の人々に食事作りの楽しさを!」というコピーがあると記しましたが、私たちは上記の食事作り力を「楽しさ」という快い体験を通して身につけてもらおうと考え、いくつかの実践を行っています。

 「おいしい放課後」は、以前学内で実施していた企画ですが、現在は三越仙台定禅寺通館(141ビル)6F、エルパーク仙台「食のアトリエ」で在仙の大学生が集まって食事作りをしています。女子学生といっても食事作りをまったくしない人も多いので、男女の違いはあまりみられません。簡単で、栄養バランスのとれた食事を楽しく作る体験を通して、「食事を作ってみよう!」という意欲や実際の食事作り行動につながっています。

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おいしい放課後

本学の生涯学習講座「食事作りを楽しむ」は、講座名にもあるように、料理ができあがることだけでなく、作っていくプロセスそのものを楽しむことを大切にしています。そのためには、参加者の方々が楽しめる料理の選択や、無理のない時間設定が重要です。失敗しても笑い、うまくできても笑い、とにかく笑い声があふれる講座となっています。

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食事作りを楽しむ

■ また、私の食教育・調理教育では環境(食)との関わりを重要視しています。
 縁あって宮城学院に赴任した18年前、同僚の山形調査に同行させてもらって、季節に収穫される野菜を日々の食卓に取り入れていく食べ方と出会ったことがきっかけで、かつて大学で学んだ食生態学をもう一度学び直すことにしました。
 食生態学とは、人間の食について環境とのかかわりで、その仕組み(構造や機能)を体系的に明らかにする学問(足立1987)です。
 近年、生産者(農)と消費者(食)との乖離が課題となり、その解決のために、農業への理解や地産地消費運動などが試みられています。しかし、生産された作物(野菜)を扱う(調理する)技術がなければ、実際の野菜入手行動にはつながりません。生産と消費のつながりは、食事作り力からもみることができるのです。
■ 最後に、食環境との関わりのなかで現代の食事作りの矛盾を取り上げた授業実践を紹介します。
 登米市立石越学校6年生(2008)
 「郷土料理は地元の食材を使うのかー「はっと」を事例にして」
 学校教育では郷土料理は、そのよさを知るのみになってしまいがちです。しかし、食環境が大きく変化し、日本の食料の6割が輸入に頼っている現実を前に、ただ伝統のよさのみを伝えることでいのだろうかと疑問をもちました。そこで、宮城県の郷土料理「はっと」を題材にして、その材料の小麦粉が外国産に大きく依存していることを通して、現代における郷土料理とは何かについて考える授業を試みました。
授業の前半は、郷土料理の「はっと」が地元の食材を用いて作られることを、単なる知識としてではなく、「はっと」を楽しく作り、おいしく食べる体験を通して、そのよさを実感します。
後半では「はっと」の材料である小麦粉がほとんど外国産であることを知り、多くの人々が外国産の食材を用いて郷土料理を作っているという矛盾に出会います。そして、外国産の食材を用いているものを郷土料理といってよいのかどうかについて考えます。

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授業後半の山場のところです。
 私が生徒たちに質問します。
 「日本は小麦粉のほとんど輸入しています。ですから、多くの人々は外国の小麦粉を使って“はっと”を作っています。では、外国産の小麦粉で作ったものも郷土料理といっていいですか。」と聞くと、今まで静かだった教室がざわつきます。
 「郷土料理と言っていい、と思う人は手をあげてください。」と言うと、誰も手をあげません。
 「えー、全員が! では、給食で郷土料理として“はっと”が出るけれど、それは誤りなの? はっと街道のお店で出している“はっと”は郷土料理といってはいけないの?」
 「もう一度聞きますね。外国産の材料を使ったら郷土料理とは言ってはいけないと思う人は手をあげてください。」
 やはり、多くの子が挙手をします。

 「では、郷土料理と言ってもよいと思う人は?」
 今度は、十人ほどの手があがります。

 「言えない」という理由を聞くと、「外国のものを使ったら伝統料理じゃないから。」「そこの土地のものじゃないから。」という声とともに、「郷土料理とは言えないけれど家では作るから、登米の家庭料理とは言ってもいいと思う。」という意見も出ます。
 一方、「言える」という子は、その理由を「小麦粉で作ったものだから、外国産になっても登米で作ったら郷土料理といっていい。」「郷土の野菜を入れれば、郷土料理といっていいと思う。」と、小さな声ですがはっきりと自分の考えを述べてくれました。
 子どもたちは「郷土料理とは言えない、言いたくない」という気持ちを一方に持ちながらも、現実を直視した時、なんとか郷土料理と言える論理を考えます。授業の前半で、地元食材を使った郷土料理のよさを心と身体でしっかり味わったことが、子どもたちの心の揺れを大きくしていることが彼らの表情から伝わってきます。
 授業後の感想文では、「言えない」と記した子が過半数と多かったものの、「登米の郷土料理を残していくためには、外国産のものでも使った方がいい。」と記した生徒が数名みられました。
 「外国産の食材を使ったら郷土料理といえないか」の答えはひとつではありません。食料政策や食育運動にかかわる人々にとっても大きな課題です。これから、子どもたちがいろいろな学びをしていく中で、この授業での学びを思い出して、調べたり、考えたりしていってほしいと思います。